ありがとうございました
入学、卒業、転居、といろんな節目の春です。
落語家という職業は入学があっても卒業はありません。入門を希望して「見習い」の段階から、落語家としての名前をもらって「前座」へ。師匠のそばで用をしながら芸に対する心構えを学び、「二つ目」になれば師匠を離れて自分の芸を確立すべく精進の日々を過ごし、最後は「真打ち」という身分で堂々と世間に自分を問うことになります。
このたび最初の弟子、世に言う一番弟子立川志の吉が立川晴の輔と名前を変えて真打ちに昇進、この30日によみうりホールで披露興行を行う事になりました。
17年前に入門してきた明るい青年が、落語家として一人前になる門出です。
そして、その1年前に始まり18年間続いたのがこのコラム。40歳過ぎから始めて私も還暦を迎えました。
思えば最初はワープロで原稿を打ちファクスで送っていました。メールも携帯電話もありませんでした。
空港から、楽屋から、海外から、コンビニから、ホテルから、雨の日、晴れの日、曇りの日、一度も落とすことなくよく続けられたと、自分をほめてあげたい気分です。
で、今年に入って週1回から月1回になり、もうお気づきのことと思いますが今回で最終回になります。
世間を落語家の目で見たらどうなるか、落語には先人の知恵、普遍的なテーマがたくさん詰まっていることをご紹介できれば、と思って始めました。
なんとなく伝統芸能だから現代と関係ないんじゃないかと思われがちな落語を今に引き寄せられないか、落語家である私の身辺雑記や思いを書くことにより落語に親近感を持ってもらえたら、の望みが少しはかなえられたでしょうか。
ビビッドなニュースで埋まる新聞というメディアに掲載されるこのコラム。私自身も、この体験が生でしゃべる高座のマクラのネタにもなり役立ったことは言うまでもありません。
「世情のあらで飯を食い」と言われる芸人であってみれば、このコラムが終わっても、常に世間を節穴からのぞいてみていこうと思います。
今まで、ヒダリミギ、ヒダリミギ、と号令をかけながら一歩一歩、時によって歩幅や速度を変えながらも同じリズムで歩いてきたのですが、還暦を機に、いったん両足をそろえてみて、また新たな一歩を踏み出したくなったのです。
ほんとうに長い間、ありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。
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※このブログの制作にあたっては立川志の輔事務所(シノフィス)ならびに毎日新聞のご了承を頂いています。
落語家という職業は入学があっても卒業はありません。入門を希望して「見習い」の段階から、落語家としての名前をもらって「前座」へ。師匠のそばで用をしながら芸に対する心構えを学び、「二つ目」になれば師匠を離れて自分の芸を確立すべく精進の日々を過ごし、最後は「真打ち」という身分で堂々と世間に自分を問うことになります。
このたび最初の弟子、世に言う一番弟子立川志の吉が立川晴の輔と名前を変えて真打ちに昇進、この30日によみうりホールで披露興行を行う事になりました。
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そして、その1年前に始まり18年間続いたのがこのコラム。40歳過ぎから始めて私も還暦を迎えました。
思えば最初はワープロで原稿を打ちファクスで送っていました。メールも携帯電話もありませんでした。
空港から、楽屋から、海外から、コンビニから、ホテルから、雨の日、晴れの日、曇りの日、一度も落とすことなくよく続けられたと、自分をほめてあげたい気分です。
で、今年に入って週1回から月1回になり、もうお気づきのことと思いますが今回で最終回になります。
世間を落語家の目で見たらどうなるか、落語には先人の知恵、普遍的なテーマがたくさん詰まっていることをご紹介できれば、と思って始めました。
なんとなく伝統芸能だから現代と関係ないんじゃないかと思われがちな落語を今に引き寄せられないか、落語家である私の身辺雑記や思いを書くことにより落語に親近感を持ってもらえたら、の望みが少しはかなえられたでしょうか。
ビビッドなニュースで埋まる新聞というメディアに掲載されるこのコラム。私自身も、この体験が生でしゃべる高座のマクラのネタにもなり役立ったことは言うまでもありません。
「世情のあらで飯を食い」と言われる芸人であってみれば、このコラムが終わっても、常に世間を節穴からのぞいてみていこうと思います。
今まで、ヒダリミギ、ヒダリミギ、と号令をかけながら一歩一歩、時によって歩幅や速度を変えながらも同じリズムで歩いてきたのですが、還暦を機に、いったん両足をそろえてみて、また新たな一歩を踏み出したくなったのです。
ほんとうに長い間、ありがとうございました。
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by woody-goody
| 2014-03-28 13:21
| 社会
つくづく落語って芸能
思いっきり短い2月の終わりになりました。
この2日に恒例パルコ1カ月公演を終え、これまた恒例になったシンガポールからタイのバンコクへ落語を届けにまいりました。
しかも、今年はフィリピンのマニラ公演も加わるというハードスケジュールの綱渡り移動。
どんだけ綱渡りだったかと言うと、シンガポール公演の翌日にバンコクへ移動して午後4時開演、6時終演後、スタッフの食事会もそこそこにバンコクの空港へ移動。夜11時過ぎのタイ航空でマニラに飛び、朝4時にマニラ空港に到着。昼まで仮眠、午後3時から落語会。
とにかく無事に終えられて安堵(あんど)。
幸運な綱渡りでした。
今週は、こちらも恒例、今年で11年目になる「全国学生落語選手権」が岐阜市で行われ、学生らしい新鮮な8高座を聴かせてもらいました。
結果、岐阜大の女子大生が優勝しました。
演目は、やきもちを焼くふたりの女性の間で右往左往する男を描いた『悋気(りんき)の独楽(こま)』だったのですが、女性のかわいらしさがとてもよく出ていました。
いまさらですが、つくづく落語は演者の人間性が出るのだなあ、と感じ入りました。
この翌日が、これまた恒例の「文枝・志の輔二人会」。終演が9時半。後片付けが終わると、さあもう帰れない。
あ、ここは日本!?
海外で、前日深夜出発、翌日に落語会、その日のうちに東京へ帰る便があるという体験をしてきた後だけに、あれ、日本国内なのにもう帰れないんだ、と思い直して、頭と体が混乱しました。
来月の中旬からは、またもや恒例となった、今年7年目になるベトナムのホーチミン・ハノイ公演があります。
こちらも、今年はミャンマーのヤンゴン公演が加わってハードスケジュール。
「このスケジュールで各国を渡り歩いてるのを出入国審査官が見たら、ヤクの密売人じゃないかと思われますよね」と高座でしゃべったら、共感の爆笑が起こりました。
日本中どこでも、世界のどこでも待ってくれている人がいて、終わると笑って帰ってくれる。その笑顔に励まされ、旅の疲れも吹っ飛び、つくづく落語家でよかったなあと思います。
お客様にとっても、私にとってもわくわくできるらくごのごらく、落語って芸能なんだ、ということを強く再確認しています。
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by woody-goody
| 2014-02-28 11:52
| 芸能
厄落とし、できた?
今更何を、と思われるでしょうが、今年最初のコラムだし、まだ1月だし、と思いながら書いてしまいました。
年明けから本日まで、ずっと恒例パルコ1ヶ月公演「志の輔らくご in PARCO」で渋谷に居続けています。
あと今日を入れて3日になるこの公演も9年目に入り、私は還暦を迎えます。
厄払いをしなきゃ、と思いつつ、新作落語を作るのに気をとられ、何もせず迎えた初日に、初のトラブルが起こりました。
今まで1000回を超えるライブをやってきて、こんなことは初めてでした。
前代未聞。
まだ、これからライブを見に来る方もいらっしゃるので詳しくは書けないのですが、落語と落語の間に流す映像が出なくなってしまったのです。
映像なし、音のみの時間が流れたらしい。
着替えを終えて、2席目に向かおうとしたそのときに、舞台のソデでトラブルを聞かされ、頭がくらくらしました。
さあ、どうしよう。
でも、そこは落語のありがたさ。
お客様にあやまりながら「本当は、ここに映像が流れるはずだったんです。どういうのかと言うと……」と説明しつつ、笑っていただきました。
落語という芸能のありがたさに、つくづく感謝いたしました。
もしもフォローできなければ、「あの音は何だったんだろう?」という疑問符がお客様の頭に浮かび続けて、そうなると次の話にも集中できないでしょう。
スタッフは言いました。
「このトラブルで、厄落としができましたね」と。
ものは考えよう。起こってしまったことはしょうがないので、私もそう思うことに。
今回は、このあと私の体にトラブルが。
風邪薬を飲み続けていると、高座でぼんやり、耳が聞こえにくくなり、自分との闘いが続きました。
そんな日々でも、毎日違うお客さんからもらう「笑い」と「気」が、私に元気を注入してくれました。
アンケートを見ると、下は10歳から上は90歳のおばあちゃんまで、1万人もの方が同じ空間で笑ってくださる。あらためて落語の不思議さ、素晴らしさを実感しました。
還暦、原点に立ち返り一席でも多く楽しい高座を、と気持ちを新たにした1カ月でした。
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by woody-goody
| 2014-01-31 15:24
| 芸能
祝!六本木EXシアター
今年最後のコラムになりましたが、年末に向けてとてもうれしい気付きがありました。
毎年、北海道から沖縄まで落語をしていますが、高座に座って明らかにやりやすいホール、やりにくいホールがあるのです。
その原因はどこにあるんだろう、と考え続けた数十年でした。
そんな折、先日テレビ朝日が六本木にこしらえた、「EXシアター」のこけら落とし公演に2日間出演。
プログラムにはビーズ、奥田民生、グレイ、エルビス・コステロ、坂本龍一、細野晴臣、チャーなどなどすごいメンバーの中に『志の輔らくご』が2日間。うっかり見ると、印刷ミスかと思うほどの違和感。
約1000人収容の完全音楽ホール。天井は筒のように高く抜けて、スタンディングにも対応可能な出入り自由な客席。舞台の間口や奥行きも広く、しゃれたデザイン、できたて独特の何とも言えぬ匂い、さあどんな落語空間ができあがるんだろうと、真新しい楽屋でわくわくしていました。
ところが、初日は何だか客席との一体感が薄いのです。当然、間合いが狂います。やってて今ひとつ調子が出ない。
私の体調? 芸の出来の悪さ?
正直に製作陣にそのことを話し、2日目は客席側にマイクを立ててもらい、モニターからお客様の反応がダイレクトに伝わるようにしてもらいました。
すると、初日とはまるで違う臨場感が高座の私にも伝わり、いつも以上の盛り上がりの高座に。
この2日間の違いは何?
何と打ち上げで、ホールの設計者がじかに私に教えてくれました。
「私たちは、このホールは大音量のロックミュージックに対応できるように、という注文のもとに設計したため、舞台と客席との良い分離に、一番苦労したんですよ」
「え?! 良い分離?」
ようやくわかりました。 簡単に言えば、全国のホールには舞台と客席を一体化させるクラシック音楽タイプと、分断することを目的に設計されたロック音楽タイプがあり、客席の空気が舞台まで上がってこないのは、設計の狙いによる違いが原因だったのです。
今年最後に落語の神様からもらったプレゼントは、「ホールの音の重要な知識」でした。
ぜひ来年も「EXシアター」でやろうと思います。
今回以上に工夫して、よりよき落語空間を目指します。ご期待ください。
よいお年を!
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by woody-goody
| 2013-12-20 11:44
| 体験
還暦を迎えて
師匠談志が逝って、はや三回忌。
その師匠が還暦を迎えたとき、弟子たちに言った言葉を思い出します。
「俺もあと5年だろう。寿命ということもあるが、自分の落語がやれる時間としてという意味でもな」
それから毎年、一門が勢ぞろいする新年のあいさつでは、「俺もあと3年だろう」「あと2年だな」となっていきました。毎年そんなセリフを聞かされ、なんで毎回わざわざそんなことを言うのだろうと不思議に思っていました。
そんな私が、あの頃の師匠の年、還暦を迎える事になりました。
子供の頃、50代の人は爺さん婆さんでありました。
自分自身が幼い頃、人生終盤だなと思っていた、まさにその年になりました。
残り時間を確実に意識し始める年、還暦。
漠然とした焦り、じりじりとしたいら立ちのような感情が湧き起こり、「そうか、師匠はこれと同じような気持ちで、毎年のあのあいさつをしていたのかも」。
これから先、あと何回高座に上がれるのだろうと考えながら、でも、今晩何をやるのか決めるのが先決だろうよ、と笑ってしまう自分もいて。
時間を見つけては、いろんな舞台を観て元気をもらったりしていますが、勇気をもらった映画が1本ありました。
「キューティー&ボクサー」。切ないのに癒やされ、笑わされ、泣かされた映画でした。
日本で初めてモヒカン刈りにした男、現代芸術家の篠原有司男81歳と、同じく芸術家である妻の乃り子。ニューヨーク在住40年の二人の愛と闘いの記録です。
英語と日本語が入り交じったドキュメタリー。
芸術家なのに、タイトルに「ボクサー」と入っているそのわけは、観てのお楽しみです。
ニューヨークに意気揚々と来たときの映像がフラッシュバックで差し挟まれ、妻の絵とシンクロしていくそのセンスのよさ、カメラワーク、編集、音楽、全てにうなりました。
途中からドキュメンタリーであることを忘れさせるほどで、映画祭で受賞したというのもうなずけます。
何気なく二人が口にする言葉が哲学的に聞こえてきます。
「アートっていうのは悪魔。悪魔にひきずられていくものがあるわけよ」と夫が言えば、妻は「ラブ・イズ・ウォー」と絵に描いていきます。
観賞し終わった後、なぜか「よし!」とつぶやいている私がいました。
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| 2013-12-13 11:40
| 社会
立川志の輔のエッセイ(毎週金曜日毎日新聞に掲載)
by woody-goody
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