カテゴリ:芸能( 75 )

玉置宏館長に御礼

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 定期的にほぼ毎月、落語会を開いてきたのは東京と故郷富山、そして横浜にぎわい座です。

 そのにぎわい座の館長玉置宏さんの詐報を聞いたときは、とにかく驚き、一気にカが抜けました。

 つい一カ月前、この5年間垣例になっている「大晦日カウントダウン落語会」を終えたばかりだったからです。

 横浜にぎわい座芸能ホールに満員のお客様と一緒に「5,4,3,2,1」と唱和が終わり、ラストは館長と私で薬玉のヒモを引っ張り、めでたく2009年を締めくくり、全員で拍手し、笑い合ったばかりだったのに。

 あんなに嬉しそうだったのに。

 毎月の落語会が終わると、にぎわい座近くのお好み屋の2階で開かれる打ち上げ会場、一番奥のテーブルが館長と私の席でした。

 そのとき聞いた貴重な芸談は私の宝物です。

 ときには、秘蔵のテープを「なにかの役に立ててください」と渡してくださり、そのテープにまつわる思い出、当時の演芸界の様子、時代背景をあの玉置節と言われる名調子で話してくださるんですから、この上ない贅沢な時間でした。

 いまでも、嬉しそうに焼酎をちびりちびりと飲む姿が目に浮かびます。

 7年間、毎月のようにお会いして思い出は数々ありますが、一番の感謝は、柄にもなく私が芸術選奨文部科学大臣賞なる身に余る賞をいただいたときに、玉置館長がくださった言葉です。

 「おめでとう。君はね、初めっから寄席に出ない経歴だから、ひょっとして伝統というものの端の方にいるなんて思っていたかもしれないけれど、だとしたらとんでもない思い違いだということを教えてくれた賞なんだよ」

 これほど嬉しいメツセージはありませんでした。

 こんなに私のことをしっかり見ていただいていたと落語の粋、情緒をこよなく愛し、落語界の生き字引だった玉置さんに私の落語を認めてもらえたことは、なにものにも代え難い喜び、大恩人です。

 芸人が参加するどんなパーティーでも、場がどれほどおちゃらけていようと、最後に玉置さんが立ち、一言発しただけで、場がぐんと引き締まりました。

 そのパーティーの趣旨がそこで再確認されるという具合でした。

 ただ面白い会ではなく、その会に参加した者全員がその意義を新たに思い直したものでした。

 司会者とはこういうものか。

 いまごろは向こうで「極楽名人会」とでも銘打ってさぞやあの見事な名調子を披露される支度を始められているのでは。合掌。

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by woody-goody | 2010-02-19 05:49 | 芸能

弟弟子、立川文都を悼む

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弟弟子立川文都があの世へ旅立ちました。

一緒によく飲み、よく遊んだ仲でした。

 最初の出会いは、1984年、上野本牧亭。

 私の勉強会の楽屋に突然現れ、「あのー、談志師匠に入門したいんですけど、どうしたらいいんでしょう?」と明らかに関西のイントネーション。はたして江戸落語を喋るにあたって、どうなんだろう、と心配になったのを覚えています。

 師匠談志の自宅と、入門願いのタイミングを教え、翌月には、関西弁の落語家がー人誕生しました。

 前座名はそのまま「立川関西」。二つ目に「談坊」、真打ち昇進とともに「文都」という名を襲名。

 観客を包む柔らかい話芸はは仲間の噺家が羨むくらいでした。

 「東京でもない、大阪でもない、日本中に通じるソフトな言葉で独自の落語をめざす」と精進を重ねてました。

 5年前には一緒に四国お遍路の旅に出ました。

 八十八カ所中、彼はすでに五十五カ所目まで歩いていたのに、私に付き合ってまた一番目から一緒に歩いてくれました。自分に「なんでやねん」とツッコミを入れながらも、心から優しい男でした。

 まわりに陽気に気を使いながら、二人になると「なあ、アニさん、これからどないしたちええと思う?」といつも落語の方向性を模索していました。

 日曜日のタ方、NHKラジオでパーソナリティーをつとめ、それを私は小学生の息子を風呂に入れながら聞いていたものでした。

 たまたまカーラジオで耳にした師匠談志が「おー、こいつ、いいじゃねえか、誰だ?」とそこにいた前座に問い、談坊だと知ると、のちに本人に直接「あれはいいです!」とほめてくれたそうで、それはもう満面とろけるような笑みで話してくれ、こちらが羨ましくなるほどの喜びようでした。

 かかってくる陽気な携帯電話の裏に、50歳で壮絶に胃癌と闘う姿がありました。

 「アニさん、癌の宣告って、ドラマみたいのとぜんぜんちゃうねん。検査が終わって、病院の売店で週刊誌を立ち読みしてたら、先生に後ろから肩たたかれて、家族呼んでください、みたいなもんですよ。全然劇的やあらへん」

 なんとか最期まで芸人らしく振る舞おうとした彼。

 昨日、彼を囲むはずだった津田沼の落語会が、偲ぷ会になってしまいました。

 「ヘヘ、びっくりした?ちょっと嘘ついてましてん」と楽屋に現れ、得意の「壷算」を始めるような気がしてならない。

 そうか、もう文都はいないのか。

 お世話になった円楽師匠に挨拶して、あの世で落語会でも企画してるのかー?

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by woody-goody | 2009-11-06 22:42 | 芸能

天国の加藤さんへ

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 加藤和彦さん、天国でいまごろ神様から「まだ来るところやおまへん」と言われて追い返されればいいのに、と思ったりしています。

 北山修さんの声でセリフが入った「帰って来たヨッパライ」を耳にしたときの驚きと言ったらもう。

 深夜のラジオから流れる、早回しにしたすっとぼけた歌詞。

 当時、まだ中学生だった私は、ただただびっくり。

 なに、こんなのあり?!

 今なら、マジー?ヤバッ!です。

 当時の部屋の壁紙、ラジオの位置、着ていた服まで甦ります。

 高校生になるころは、フォークブーム。

 富山の田舎の学校でも「ギターを弾けないと女の子にもてない」神話が学校中をかけめぐっていました。

 友人のギターを借りて一生懸命に弾き語りをしたのが「あの素晴らしい愛をもう一度」。加藤和彦さんの大ヒット曲でした。

 思い出す、同級生の顔、顔、顔、教室の風景。

 大学生になり、少ない小遣いの中から意を決して購入したレコードは、加藤和彦さん率いるサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」。

 曲の完成度もさることながら、組曲的アルバムの創り方が新鮮で、聴いていたころの下宿や窓からの景色まで思い出します。

 いまもiPodに入れて、新幹線の移動時に聴いています。

 衝撃の深液放送の出会いから30年を経て、加藤和彦さんが私の目の前に現れた時は息が止まりそうでした。

 文化放送の私の番組に、ゲストで来てくださったのでした。

 訃報を知り、そのときの録音テープを取り出し聴いてみると、なんとまあ、夢がかなった興奮から私が一人で、ただただしゃべっています。あああ、情けない。ゲストからお話を伺うのがパーソナリティーの役目だというのに。

 自分がしゃべってどうする、バカ。

 いかに私がファンだったかを、ニコニコ静かに笑いながら聞いてくだざってた笑顔が目に浮かびます。

 一番嬉しそうに、加藤さんが語してくださったのは「ぺペロンチー二を作らせたら、僕は世界一だと思うよ」でした。

 スパゲティの中でも一番シンプルなぺペロンチー二。自信作になるまでの試行錯誤、究極の作り方をそれはおいしそうに喋ってくださいました。

 エンディングで私はこう言ってました。「今日はまるで、加藤さんと一緒に食事ができたような気持ちです。こちそうさまでした」と。

 ご冥福をお祈りします。


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by woody-goody | 2009-10-23 05:54 | 芸能

大宮崎落語祭

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 六人の会主催の地方での初落語祭「大宮崎落語祭」が無事終了いたしました。

 もう20年近く、北海道から沖縄まで津々浦々の会場で自分の独演会をやってきましたが、なんと宮崎市内で落語をするのは初めてでした。

 いやはや、まさに南国。

 国道の分離帯には椰子の木が並び、空は抜けるような青空、ほとんど沖縄の景色と同じです。その昔、新婚旅行人気ナンバーワンだったというのもうなずけます。

 東国原知事になったそのまんま東さんと会うこともできました。

 オープニングセレモニーのスピーチでは、さすがに知事の顔でしたが、僕らの前では、やはり芸人の顔で冗談だらけ。テレビでよく見かける知事の横にぴったりと付き添っている吉川秘書とも、ゆっくり話ができました。

 この方、地元ではラジオ番組のパーソナリティーまでつとめる人気者。

 落語会の方は4会場で、18公演、26人の落語家が出演というプログラムで、お客さんは8000人を超そうという勢い。オープニングセレモニーでは「待ってました!」と言わんぱかりの1000人からの熱い拍手を受けました。

 ボランティアスタッフも、タクシーの運転手さんも、ふた言目には「宮崎を盛り上げてくれてありがとう」と言ってくれ、道で会う市民の人たちも、気軽にサインや携帯カメラを差し出し、気候の良い土地は、やっぱり人間もオープンなようで、自ら「宮崎の人間は、人が良すぎてだまされるぐらい純粋なんですよ」と言ってましたっけ。

 楽屋に準備されていたのは「冷や汁」。

 大きなオヒツに麦ごはんのようなものが入っていて、その横には、キュウリのスライスが浮いた冷めた味噌汁がいっぱい入った大きな鍋も。

 これはいったい何だ?

 スタッフから教えられた通りに、茶椀に飯を盛り、その上から味噌汁のようなものを恐る恐るかけ、お茶漬けのようにかっ込んでみる。

 うーん、驚くほどうまい。

 見かけとは大違い。それもそのはず、味噌汁のように見えた汁は、アゴか何かの魚でしっかりと出汁がとってあり、独特の甘めの味噌が、キュウリのスライスに絶妙にから玖つく。実は宮崎の名物料理の一つだったのです。食べた食べた食べた、落語をやる前にこんなに食べたのは初めてでした。先日報告した、山形の芋煮に続き、地方の名物をまた発見。

 夜の打ち上げで出た「地鶏」や「宮崎牛」もうわさ通り。吉川秘書が楽屋に差し入れてくれた、おにぎりを肉でまいたアイデア食品「肉まき」も実に美味。

 「去年、B級グルメで日本一になった横手のやきそぱに続いて、今度はこれで日本一をとるつもりなんです」と喜々として宮崎コマーシャルが続きました。

 あ、そう言えぱ、宮崎自慢のマンゴーにはお目にかからなかったなあ。

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by woody-goody | 2009-10-16 05:50 | 芸能

落語「牡丹燈籠」を終えて


 すでに秋の気配が濃厚になってきましたね。

 下北沢の本多劇場、今年で4回目の「牡丹燈籠」公演が終わりました。

 シェイクスピアと並べられることの多い落語家、三遊亭円朝が創った大長編「牡丹燈籠」の全体像を理解し やすいように新たに構成しなおした志の輔流落語「牡丹燈籠」。

 私も当初は「牡丹燈寵」と言えぱ、カランコロンという下駄の音くらいしか認識がなかったのですが、円朝作品をあらためてじっくり読み直してみると、驚くほどにさまざまな人物が錯綜し、リンクしているのです。

 何日もかけて口演されたというこの長編。

 さぞや、昔の人は、次はどうなるのだろう?とわくわくどきどきしながら、通い詰めたことでしょう。

 昔のように物語がいまほど氾濫せず、時間がゆっくり流れていた時代ならいざ知らず、いまこれをやるならよほど短くしないと、と頭を悩ませた結果がへ一部でまずは人物紹介をかねた関係図をパネルで見せるということでした。

 二部は一部の図をいったん忘れていただくために本編へいきなり突入。

 物語が始まり、ラストヘいくにしたがって一部の関係図が頭によみがえり、しっかり全体像がつながるという手法をとってみました。

 それはそれはたくさんのアンケートをいただいたのですが、中に、この「牡丹燈寵」の速記者酒井昇造さんのひ孫さんからのものがあったのには驚きました。

 構成をほめていただいたうえ、「最後の創作部分は、孝助が何よりも喜ぷことではないでしょうか」との感想、胸に染み入りました。

 なによりかにより嬉しいのは、「牡丹燈籠」速記者である曽祖父のことを思いつづけ、気になって志の輔らくごを聞きに足を運んでいただけたこと、私が知らないことを教えてもらったこと、この因縁が「牡丹燈籠」を通してのものだということです。

 4年続けていてよかった、と心の底から感謝の夏です。

 原作冒頭の「序詞」に「会員酒井昇造氏とともに」の一言を入れた速記者若林珀蔵さんの気遣いもひ孫さんとともに嬉しく、いろんな因縁を感じずにはおれません。

 私は、きっと「牡丹燈寵」の登場人物たちにひかれてこの苦しい作業を始め、終えたのだと思います。時空を超えた因縁話、さまざまなリンクがあの世とこの世でなされているのですね。

 さて、この世を少しでもよくするための1票は、どこへ。
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by woody-goody | 2009-08-28 05:39 | 芸能

落語家はなぜ正座でしびれないか


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 落語家への、よくある質間ベスト3の一つが「そんなに長い間、よく正座できますね、なにかコツがあるんですか?」。

 先日、女優の室井滋さんとの対談でも聞かれたばかり。

 役者なら正座しなきゃいけない役柄だってたくさんあったでしょうに、不思議がられるのが不思議だったのですが、そうか、そうかもしれません。私の記録でいうと、高座に座って夢中でしゃべっていて気がついたら1時間50分たっていたことがありました。

 さすがに立てず、座ったまま幕を降ろしてもらって、幕の内側でさあ立とうとしてもやはり立てず座布団の上でひっくり返ったことがありました。

 実は、正直に告白いたしますと、落語を演じているかぎり、おそらく2時間を超えても大丈夫な気がします。

 ところが黙ったままだと10分ともたないのです。

 お通夜や告別式で、私もしびれた経験が何度もあります。

 いつぞや、京都でお茶室に招かれたときなど、普通の人より早めにしびれがきて困ったことを覚えています。

 まわりの方々は、正座し慣れている落語家だからしびれることはないだろうと思ってらっしゃるんじゃないかと思って、さりげなく立とうといかに緊張したことか。

 でも落語は正座じゃないとできません。言葉にカが入らない。

 いろいろスタイルを模索して立ってやったこともあります。

 弟子に稽古をつけるときはあぐらをかいてやったこともあります。

 が、本気で落語を語るとなると、正座以外では身がひきしまらないのです。

 この正座という文化は、世界中で日本だけらしく、そういえぱ、中国でも韓国でも座禅のようなあぐら座スタイルです。

 なぜ正座じゃないと落語ができないのか、習慣以外のなにかがあるのでは、と常々考えていたところ、「正座と日本人」という本に出会いました。

 著者は医学博士の丁宗鐵さん。

 実に面白い。正座は外国人から見ると極めて特異な独自の文化だそうで、そもそも正座がフォーマルな座
り方になったのは明治政府が国民をシャキッとさせようと意図的に広めたのだそうです。

 驚いたことに、これ以前は、あぐら座や立て膝が礼儀正しい座り方だったんだそうな。ええ!

 千利休ですら、茶室が狭いので韓国式立て膝で座っていたなんて。

 著者は、私たちの先輩の落語家たちがボケずに長生きした秘訣にも答えてくれています。

 正座は脳の血流をよくしてくれて認知症予防効果も、あるそうな。そればかりか、この本は「正座の未来のあ
るべき姿」まで突っ込んでいくのです。

 ぜひご一読を。
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by woody-goody | 2009-06-19 06:02 | 芸能

落語アジア公演帰朝報告

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 海外公演から帰国いたしました。

 去年に続いて2度目のべトナム公演、そして今年新たに加わったシンガポール公演。

 不況は世界どこへ行っても同じですが、たくさんの日本企業現地支社が協賛してくださり、ロビーに会場に、待ちに待ったという熱気が満ちあふれ、作る側と観る側の一体感が、海外公演につきもののさまざまな困難を乗り越えさせてくれました。

 シンガポールではちょうどいいサイズの高座台を作ってくれたのはよかったのですが、大きすぎてホールの入り口から入らない。

 「30分ほどお待ちください」

 音響照明チェックをしようとすると、そう声をかけられ、なんでだろうと思っていたら「いま、台を半分に切っていますので」

 ノコギリで半分にして入れ、中でくっつけるという一大作業。

 照明係はワンさん一人。

 弟子を高座に座らせ、客席に座った私がああでもないこうでもないと指示を出します。それを日本人会の人
が通訳、ワンさんが走り回ります。

 照明の指示と言っても、こちらは素人なので的確な指示が出せません。あちこちいじって何度もやり直し、やっと納得のいく状態になるまでに2時間。

 嫌な顔一つせず付き合ってくれて、ワンさん、ありがとう。

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 ベトナムのホーチミンでは、日本から持ち込んだ大きめの高座座布団が、マイクを前に置くと台に乗り切らない。かかとと座布団が台からはみ出し、前傾姿勢で落語を行い、太ももが鍛えられました。

 照明だって大変です。

 基本的にホールにあるものしか使えないというルールのおかげで光量不足。それをどう補えぱいいのか、
ライティング技術などわからない私に、日本人会と現地のベトナム人、弟子たち大勢でよってたかって3時間半格闘した末になんとか舞台ができあがった時には、感動でした。

 去年は4時間かかったので、30分短縮いざ幕が開くと、入りきらないお客様のために、あちこちからいろんな形の椅子が急きょ用意され、立ち見も出る盛況ぷり。500人以上のお客さんが笑うこと笑うこと。

 年に一度の日本人祭りってとこか「ベトナムにこんなに日本人がいたんだ!しかもみんながこんなに笑う人たちだったなんて」というスタッフにお客さん。

 笑顔がまぷしく、でも外へ出れば家族4人が乗ったバイクが洪水のように行き交うホーチミン。

 暑い。

 野球のないベトナムから帰国するや、韓国に勝利して驚喜する侍ジャパンの映像。

 そうか、日本に帰って来たんだ。

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by woody-goody | 2009-03-27 06:18 | 芸能

二代目林家三平誕生

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 昭和50年、京王線明大前にあった、明治大学和泉校舎で体験した大爆笑を今も忘れることができません。

 学園祭に林家三平師匠を迎えたのです。

 そのころ、正直にいうと、落語家をゲストに迎えるにあたって、意見は二つに分かれていました。

 当時の落語界は古典落語至上主義だったので、漫談的というか、ひとりコント的というか、タレント的というか、どちらにしても古典落語とはほど遠いイメージの三平師匠を迎えるのに反対意見もあったのです。

 ところがふたを開けてみると、ただただ笑いっぱなしの1時間でした。

 内容を克明に覚えていないのが残念なんですが、これだけは鮮明に覚えています。

 途中で何人かの外国人が客席に入るや、三平師匠はめちゃめちゃの英語でその外国人たちをも笑わせていたことを。そのアドリプの凄さ。

 そうそう、一つ、思い出しました。

 当時の都知事は美濃部亮吉さんだったのですが「座頭市が、道で美濃部さんとすれ違ったんですよ。そのとき、刀を抜いて一言、言ったんです。やな、都政(渡世)だなー」

 500人ぐらいの大教室の天井が抜けるかと思うぐらいの大爆笑。そのジャーナリスティックな鋭さ。

 学生や一般の方々、舞台後方にあった簡易楽屋にいた落語研究会部員、そこにいた者全員が度肝を抜かれた笑いの衝撃波。

 このとき初めて私は、落語にはものすこい幅があるんだと驚かされたものです。

 古典落語だけが落語だと思っていた私に、三平師匠はこれも落語だと教えてくれたのです。

 あれから35年、皆さんもご存知のとおり、先日二代目林家三平が誕生しました。

 両国国技館で6500人の観客を前にして、口上の司会も務めさせていただきました。

 お祝いに駆けつけた居並ぶ師匠方を一人一人紹介しながら、30年以上前の記憶が蘇ってきました。

 かたわらに、頭を下げて各師匠方の口上を緊張の面持ちで聴く二代目三平。

 新三平、平成三平が落語の幅をもっともっと広げてくれるよう、いや、あえて言えぱ初代三平の記憶をもっともっと遠いものにしてくれるよう、忘れさせてくれてもかまわないとすら願いながら、三本締めを終えました。

 それにしても二代目三平さん、あんなすごい口上に並ぱせてくれてありがとう。

 緊張以上に嬉しくて、そして気持ちよかったよ。
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by woody-goody | 2009-03-13 22:24 | 芸能

映画「おくりびと」雑感

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 「おくりびと」で、富山は田中耕一さんノーベル賞受賞以来の大騒ぎ。映画のきっかけになった「納棺夫日記」著者の青木新門さんと監督の滝田洋二郎さんが富山の方だからです。

 この映画で、私がすぐに思い出したのは、祖母と小遊三師匠。

 変だけど、私の頭の中ではつながるのです。

 幼いころ、祖母からよく言われたのは「町で霊枢車を見たら、親指を内側に隠さないと、親の死に目に会えないよ」。

 以来、向こうから霊枢車がやってくると、緊張しながら親指を隠したものでした。

 上京しても、一度身についた習慣は変わりませんでした。

 そんな学生のころ、寄席で小遊三師匠のまくらを聞きました。

 「町を歩いていて、霊枢車が通ると、親指を内側に折って隠さないと親の死に目に会えない、というから両手の親指を握ってたのよ。そのうち、親父が死んじゃったので、霊枢車が通ると、片手の親指を曲げるようになったのよ。その何年後かに、母親が死んじゃって、霊枢車を見たとき、親指を曲げようとして、ああ、そうか、両親ともいないからもういいんだ……思わず霊枢車にピースサインを送っちゃった」

 ほんとは淋しい事が、笑いに転化されて、客席は爆笑。

 これに少し似通っているかと思われたのが、富山でユニークな自動車をつくり続けている光岡自動車が発表した「おくりぐるま」。

 以前からオリジナルの霊枢車を手作りしていたのが、映画を見て、つらく悲しいだけの死のイメージから認識が変わり、尊厳と優しさをもって死者を運ぷための車をイメージしてデザインしたとのこと。

 一連のニュースを見ていて思ったのは、オスカー受賞もさりながら、なんと言っても秀逸なのは「おくりびと」というネーミングです。

 そうだ、告別式で私たちは、霊をおくるのだ。お盆には霊を迎えるのだ。あたりまえのことが思いおこされました。

 此岸から彼岸へ霊をおくる告別式。

 「おくる」という言葉が改めて、こちらとあちらは連綿とつながっているとイメージさせてくれます。

 世界がはっきり分断されているのではなく、形を変えてつながっている、そんな優しさが「おくりびと」という語感には宿っています。

 だから、光岡さんも「おくりぐるま」と名付けたくなったのでしょう。

 忌むべき死が、おくりおくられるという日常の言葉に変換されたおかげで、やわらかくなるのです。

 いつの日か、おくられるまで、みなおくりびと。

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by woody-goody | 2009-02-27 06:51 | 芸能

「歓喜の歌」がTVドラマに

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 全国から落語独演会で呼ぱれ、あちこち出かけた折、受け入れ側の対応の違いにとまどうことが多々ありました。楽屋へ主催者の方があいさつにみえ、話すうち、不思議なことになんとなくお客様の顔が見えてくる。

 心底、お客様に喜んでもらいたくて会を催しているのか、通り一遍に義務感でたまたま主催することになってしまったのか、が肌に伝わってくるのです。

 そんな、ただただ職務として会館を貸すスケジュールを埋めているだけの人たちが、もしダブルブッキングをしたらどうなるんだろう、というのが新作落語「歓喜の歌」を作ったきっかけでした。

 いっそ、最後にママさんコーラスを舞台にあげちゃおう、となり、前代未聞の落語公演になりました。

 するとこの落語をDVDにしようという人が現れ、さらに映画に、という話にまで発展。あれよあれよという間に作品が独り歩きし始めました。

 そして、このたび、北海道テレビ開局40周年記念スペシャルドラマとして放送されることになりました。

 手塩にかけられ成長した我が子を見る思いで、放送前の番組を見ました。

 映画の喜劇タッチとはまたひと味違う、心にずしんと響くドラマになっていました。

 それでいて、役者陣がリアルに演じる上品な笑いが随所に顔を出し、思わず噴き出す場面が何度も。

 職場ではぱかにされ続けて来たいいかげん男が、厳しい生活の中で必死に歌うママさんコーラス隊の姿に接し、徐々に変化していく様を大泉洋さんが好演。夫に支えられ、けなげに歌う余命いくぱくもないコーラス隊リーダーを田中裕子さんが自然に演じ、やはり歌を生きがいにしている指揮者を大滝秀治さんが重厚かつ軽快な演技で締め、脇の役者さんも日常性を大切に、おおげさにならない演技でユーモア度を高め、それこそ涙と感動の物語になっていました。今回、プロデュースや演出にかかわった、いつもは軽いタッチで笑いふんだんの人気番組「水曜どうでしょう」スタッフのチームワークのよさにも感心。

 ラストは、大泉洋さん演じる主任の策略にしてやられた市長も一緒に喜び合う後味のいいドラマ。

 落語台本と、テレビドラマ台本の違いが勉強にもなりましたし、きめ細やかな演出にもうなりました。

 これはもうぜひ、みなさんに見てもらわねぱ。今度の日曜(7日)午後2時から、テレビ朝日で放送されます。

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by woody-goody | 2008-09-05 22:45 | 芸能


立川志の輔のエッセイ(毎週金曜日毎日新聞に掲載)


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